セーラー服と海の男

水兵のイラスト

女子学生のシンボルとして老若男女に定着しているセーラー服の起源が水夫の制服にあるということは意外によく知られた事実だと思います。

ご存じではなかった方、ご安心ください。ご存じだった方、鼻で笑わないでください。当事務所は海事代理士事務所ですのでこれくらいのトリビアでドヤ顔するつもりはありません。

今回はセーラー服について、海事代理士的観点からさらに深堀りしたトリビアをお届けしたいと思います。

セーラー服の歴史

はばたくカモメ

セーラー服は、1857年にイギリス海軍で正式に採用されました。これが契機となり、各国海軍もこれに追随する形で制服として導入することになります。発祥自体はそれより少し前で、イギリスでは1830年頃には既に水夫の甲板衣として襟の大きな衣服が定着していたようです。

ヴィクトリア女王がデザインを気に入って王子達に着用させたことや、海軍幼年学校の制服に採用されたことにより、王室や海軍好きである国民性も相まってイギリスでは子供服として爆発的に流行することとなります。そしてこの流行は、やがて世界的な広がりをみせます。

日本においては、1872年に水兵の制服として海軍が採用しています。また、女子の学制服として採用されたのは、1920年頃(大正中期)といわれています。

女子学生の制服として定着した理由

セーラー服を着た女子学生のイラスト

セーラー服が全国に広まった背景には、東京大学をはじめとする多くの学校が男子用学生服として陸軍式の制服を採用していたことがあります。つまり、男子用学生服と対になるように、女子用学生服には海軍式の軍服が推奨されたためであると言われています。(諸説あり)

さらに体操教育を取り入れる際、近代的な体操には馴染みにくい和服に変えて、より動きやすい形状であるセーラー服が重用されたことが普及の最大の要因とされています。また、当時の日本の教育理念であった「良妻賢母」を表現するものとして好意的に受け入れられたことも要因のひとつと推察されています。

戦前のセーラー服は、高等教育を受けることができる一部エリート層の女子学生が着用するものとして一般層には憧れの存在でした。これが戦後になり、教育が自由で平等な権利となったことや革新的な生産技術の向上があったことなどの社会情勢の変化からセーラー服は一般層の女子学生にも広く浸透するようになりました。

セーラー服の形状

カモメの水兵

大きな襟

甲板上で風雨などの影響によって音声が聞き取りにくいときに、その大きな襟を立てて音を集めたという説がありますが定かではありません。

また、船上ではなかなか洗濯が出来ないため、髪の毛につけたポマードの脂やフケで後ろ襟や背中が汚れることを防ぐために大きな襟をつけるようになったという説もあります。ただし、こちらはイギリス政府のサイトが公式に否定しているようです。

要するに諸説ありです。個人的には集音効果説を支持します。だって海の男の知恵っぽいから

ちなみに初期の襟は円形であったそうですが、男性が自分で繕うことができるようにかんそな方形になったとされています。

大きく開いた逆三角形の胸元

特長的な大きく開いた逆三角形の胸元は、海に落ちた時にすぐ服を破れるようにして泳ぎやすくするための工夫だそうです。

スカーフ

スカーフについては、水兵がいつでも手ぬぐい代わりに使用することができるよう肌身につけていたことがその起源であると言われています。

まとめ

こうして歴史を紐解いてみると、改めて先人の偉大さに驚かされます。時代ごとの流行も垣間見えて少しほっこりします。現在は海の男と女子学生という真逆とも言うべき存在のシンボルになっている点も興味深く、現代風に表現すればまさにギャップ萌えです。

また海にまつわる面白いトリビアを仕入れたときに、随時記事を更新してしたいと思います。

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